「ちぃちゃん、ちょっと倉庫からこの備品取ってきてくれないかい?」
「はい、わかりました」
店長の馴れ馴れしい呼び方に戸惑いつつ、千幸は素直にうなずいて彼からメモを受け取る。
二ヶ月前に別の店から異動してきた彼は、オーナーの親戚という立場を笠に着た厄介な人物だった。当然のごとく従業員からは嫌われていたが、それに気づかないため態度を改めることもなく好き勝手に振舞っていた。
厨房にいることが多い千幸は、主に事務所や接客スペースにいる店長と接触することはほとんどなかったが、今日はたまたま接客スペースへ出たところで、運悪く彼に捕まってしまったのだ。
「こんなこと頼まれるなんて今日はほんとに最低だ」
店長から受け取ったメモを見ながら、千幸はイライラとつぶやく。
気合を入れてバイトに出勤してみれば、晴樹は風邪で欠勤だと知らされた。当然ながらそれが嘘であることを千幸は知っている。
(晴樹が休みなのは正直ホッとしたけど、結局逃げるとかヘタレすぎでしょ……。はぁ、それにしても何よこれ)
メモに書かれているのは事務用品ばかりだ。事務所のスタッフではなく、厨房スタッフの彼女にこれらを取りに行かせるのはおかしい。
晴樹のこともあり、それが余計に千幸をイラつかせた。
(あーもう、ホイップかき混ぜなきゃなのにっ! てゆーか、店でいちばん暇なのは店長なんだから、自分で取ってこいっつーの!!)
店長への怒りを沸々とさせながら、倉庫に着いた千幸はポケットから鍵を取り出し、アルミドアを開けた。
入口近くには、粉類などの菓子材料が積まれて置かれている。文房具や伝票などの事務用品は、最奥に並べられたキャビネットに片付けられているはずだ。
彼女はキャビネットをひとつずつ確認しながら、メモにある備品を取り出していく。
メモと備品を照らし合わせていると、ガチャッと背後でドアが開いた。
驚いて振り返ると、そこにはドアを後ろ手に閉めて立つ店長がいた。ニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべる彼に、千幸はゾクリと全身が粟立つのを覚える。
「店長? どうしたんですか?」
ゆっくりと近づいてくる店長に、千幸は平静を装いながら尋ねた。しかし彼はそれに答えることなく、無言で距離を縮めてくる。
千幸は無意識に後退るが、背中に壁の感触を感じて後がないことを知った。
店長は怯えた表情の千幸に嗜虐心を煽られたのか、ニヤリと嗤う。
「ちぃちゃんっ」
名前を呼びながら突然抱きついてきた店長に、ぞわぞわと千幸の背筋に悪寒が走る。
「やめて下さいっ!」
強い口調で抗議しながら、千幸は必死に身を捩って抵抗した。
しかし、小柄とはいえ肉付きも良く力も強い店長は、手向かう彼女などものともしない。その片手を千幸の腰に回し、もう一方の手をいやらしく彼女の身体へと這わせ始める。
「やっ、やだぁっ!」
店長の生温い手が腰からヒップのラインを撫でつけ、千幸は嫌悪で顔を歪めた。
「どうせ適当に遊んでるんだろ? な、いいだろ? なんなら小遣いもあげるから……」
屈辱的な言葉と共に店長の荒い息が頬にかかり、彼の手が今度は太ももの内側へ向かう。あまりの気持ち悪さに吐き気を感じながら、千幸は彼の腕の中でめちゃくちゃに暴れた。
「いやぁぁっ!!」
千幸の反撃に、彼女を押さえつけていた店長の身体が少しだけ離れる。彼女はその隙を逃さず、渾身の力を込めて店長へと体当たりを仕掛けた。
ドンッという音と共に不意をつかれた店長は、二歩、三歩と後ろへよろめくと、そのまま尻餅をついて倒れ込んだ。
「うっ……」
痛みに呻く店長には目もくれず、千幸はその場から逃げ出すと、そのままロッカー室へと駆け込んだ。
ドアを閉めて鍵をかけると、ホッとした反動で力が抜け、ずるずるとその場に崩れ落ちる。未だ身体を這う手の感触が消えず、千幸は震えながらぎゅっと自分を抱きしめた。
(どうしよう、ここに店長が来たら……)
そう考えただけで千幸の震えは酷くなる。
店長とまた顔を合わせることなど考えられない千幸は、なんとか立ち上がると急いで制服を着替え、ロッカーの荷物を持ってそのまま店を飛び出した。