リセット Side Story



ルーナと読書...09



携帯書籍『どこでも読書』様のフェアで書かせていただいたものです。
久しぶりに三歳児ルーナです。




 クレセニア王国において王家にも連なる名門貴族、リヒトルーチェ公爵の本邸。
 その一階にある談話室に、公爵の三歳になる末の娘――ルーナはいた。珍しく一人きりなのは、子守のマーサがお茶の用意のため席を外しているからだ。
 談話室は中庭に面した一角がサンルームになっており、庭に向けて半円に突き出したガラス窓に沿って、天鵞絨のソファが備え付けられている。
 柔らかな日光が差し込むその場所で、ルーナはソファの背もたれに手をつき、中庭を眺めていた。座面に膝を乗せているため、宙に浮いた白い絹靴がパタパタと上下に揺れ、それに合わせ煌めく銀髪に結ばれた、白いレースのリボンも緩やかに揺れる。
 彼女が身につけているワンピースも、繊細なレースがふんだんにあしらわれた白。そのせいかまるで幼い天使が舞い降りたようだ。
 そんな静かな午後の一時を、邪魔するように勢いよくドアが開く。廊下に敷かれた絨毯のせいで足音は届かず、ルーナはドアの開閉する音に驚いて振り返った。
「ルーナァ!」
 彼女の名を呼んで駆け寄ってくる、三人の少年少女にルーナはパッと顔を輝かせる。
 先頭は十歳ほどの少女。緩やかに波打つ濃い金髪を、赤いリボンで結った勝ち気そうな彼女は、リヒトルーチェ公爵家の長女にしてルーナの姉アマリーだ。
 その後ろに続くのは、ルーナのすぐ上の兄であるユアン。姉と同じ緩く波打つ金髪と碧眼の持ち主である彼は、女の子のように優しい顔立ちの少年だ。
 最後に現れたのは、公爵家の長男であり跡継ぎであるジーンだった。先の二人と同じ髪色と瞳の色をしているが、彼だけは真っ直ぐな髪質でキリリとした表情が凛々しい。
 三人はルーナが座るソファに近づくと、楽しそうに両手を後ろに隠して彼女の前に並んだ。
「兄しゃまたち、どうちたの?」
 コトンと首を傾げたルーナに、兄姉たちは「ふふふ」ともったいぶった笑みを漏らす。
(なんだろう? やけにそわそわしてて可愛いけど)
 年の離れた兄姉たちに対してそんな感想を浮かべ、ルーナは心の中で苦笑する。
(年齢は向こうの方が年上だけど、前世の記憶がある分、わたしの方が精神年齢が高いんだからしかたないよね)
 剣と魔法があたりまえの世界、サンクトロイメ。
 その中でも有数な大国、クレセニア王国の公爵令嬢として生まれたルーナには、実は大きな秘密があった。
 それは前世で地球――それも日本の女子高生、高崎千幸という少女だったことだ。
 たぐい稀な不幸体質ゆえに散々な目に遭い、最期は十八で死亡。そして千幸の記憶を持ったままサンクトロイメに転生した彼女は、ここで誕生からやり直し――つまり人生を『リセット』することになったのだ。
 そのため三歳児にして、兄や姉を『可愛い』などと微笑ましく思ってしまうのだが、肉体的には年相応の幼児のため、出てくる言葉はまだ拙く舌足らずだ。
「ねぇ、おしぇーて?」
 ソファに座ったままのルーナと、目の前に立ったままの兄姉たち。必然的に上目遣いになった妹のおねだり攻撃に、すぐさまアマリーが陥落した。
「あのね! ルーナにご本を読んであげようと思って」
 そう告げると、アマリーは後ろ手に持っていた本を彼女の目の前に突き出した。
「これはね、お姫様のお話よ」
 アマリーが持っているのは、赤い皮表紙に金箔押しになったタイトルの本だ。真ん中にはクラシカルなドレスを着た少女のシルエットが、同じく金箔で描かれている。
(これって確か、意地悪な親戚にいじめられてる女の子が、舞踏会で王子様に見初められるお話だよね)
 ルーナはタイトルを見つめると、一度母親に読んでもらった本だと思い出す。
「ちょっと姉様、全員のを見せてルーナに選んでもらうはずだったよね?」
「さぁ読みましょう」とばかりのアマリーを慌てて制し、ユアンは不満そうに彼女を咎める。そしてすぐに、自分も背中に隠していた緑の表紙の本をルーナに見せた。
「僕の選んだのはね、魔法使いの男の子が大冒険する話なんだよ!」
 自分の大好きな本なのだろう。ユアンはキラキラした目をルーナに向けて言った。
(あ、児童向けの人気小説だよね。面白そう)
 ユアンにつられるように瞳をきらめかせるルーナの様子に、今度はそれまで黙っていた長兄が口を開く。
「これだって面白いと思うよ? 僕の友人が熱心に勧めてくれたから」
 ジーンがルーナに差し出したのは、黒く染められた皮表紙に銀字のタイトルの本。中央には大きな文様が銀箔押しで描かれている。
「わぁ、ジーン兄しゃま、かっこいいご本でしゅね」
 ルーナが歓声をあげると、ジーンは満足げにうなずいている。しかしその横で本のタイトルを覗き込んだアマリーとジーンは、一斉に顔を強張らせた。
「ちょ、ちょっと兄様ってば。それはやめた方がいいわよ……」
「うん。僕もそう思う……」
「え、だめ? なんで?」
 ジーンはキョトンとした様子で、必死に止める上の妹と弟を見る。そんな兄の様子にアマリーは「はぁ」と大きなため息をついて答えた。
「それって内容はおとぎ話だけど、大人向けのものよ? 内容がかなり残酷で怖いとかで」
「うんうん。最後に悪の限りを尽くした魔女が捕らえられて、容赦のない拷問の末に、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされるとか、そんなんだったよね……」
「ええ、それも結構生々しい挿絵付きだったような……」
 姉と次兄の暴露に、ジーンの差し出した本を手に取ろうとしていたルーナは、青くなって素早くその手を引っ込める。
(ご、拷問の挿絵付きって!? うわぁ、それ所謂ホラー小説っていうものじゃ……)
 もはや目の前の本は、ルーナにとって禍々しいものにしか映らない。
 ジーンはルーナの怯えた様子に眉尻を下げると、おもむろに手に持った本をぱらぱらとめくって中身を確認する。
「読書嫌いのあいつがしきりに読んでみるようにって勧めるから、てっきりすごく面白いものだと思ったんだけどそういうことか……」
 ぶつぶつとつぶやいた後、ジーンはパタンと両手で本を閉じた。
「ルーナごめんね。こんなものを勧めてきた奴には、僕がきつーくお仕置きしておくから許してね」
 にっこり笑って言うジーンの後ろに何やら黒いものが見え、彼の弟妹たちは背中に冷たい汗が滝のように流れるのを感じた。
(これを勧めたジーン兄様の友達って、たぶん兄様をからかうつもりだったんだろうなぁ……。しかも兄様がわたしに見せるなんて思わずに。けどまぁ、ジーン兄様に対して悪戯するとか、なんて命知らずな……。てかその人、無事にすむんだろうか……?)
 ルーナが心の中で自問自答し、ついでに「迷わず成仏して下さい」などと手を合わせていると、ジーンの本から話題を変えるため、ユアンが苦し紛れに尋ねる。
「えっと、じゃあルーナ。僕と姉様の本、どっちを読んでほしい?」
「そ、そうね。ルーナ、どっちがいい?」
 すかさず便乗したアマリーに、ルーナも空気を読んで応える。
「わ、わたち、どっちにしよおかなぁ?」
 若干わざとらしいものの、小さな両手を合わせ、頬に添わせるようにして首を傾げるルーナ。その愛らしい仕草に和んだのか、ジーンから発せられる黒オーラがみるみるしぼんでいった。
(ルーナ、よくやったわ!)
(ルーナ、すごいよ!)
 無関係な者にまで恐怖を抱かせる、長兄の真っ黒オーラに震え上がっていたアマリーとユアンは、背中の後ろで親指を立ててルーナを称える。
 そうして不穏な空気が消え去り、ルーナが気を取り直して本を選ぼうとした時、軽くドアがノックされた。
「あっ、父しゃま!」
 ドアの向こうから現れたのは、子供たちの父であるリヒトルーチェ公爵アイヴァンだった。
「ただいま。皆ここにいたんだな」
 彼は端正な顔立ちに穏やかな笑みを浮かべて近づいてくる。
「おや、何かしていたのかい?」
 ルーナの周りに集まる子供たちを見て、アイヴァンはそう問いかける。
「あのにぇ、ご本を読んでもらおうとちてたのよ」
 にこにこと笑いながらルーナが言うと、兄姉たちも一斉に父へと話しかけた。
「父様、これをルーナに読んであげようと思ったの!」
「僕はこれ!」
「僕はちょっと失敗してしまったみたいです」
 アマリーとユアン、そしてジーンがそう報告すると、アイヴァンは彼らの手にある本に目を落とした。
「ああ、なるほどね。それでルーナはどの本にしたんだい?」
 父の問いかけに、ルーナは考えるように口元に人差し指をもってくると、コテンと顔を傾けた。
「まだちめてにゃいの」
 その言葉をきっかけに、アマリーとジーンが「これだよね!」と自分たちの本をアピールする。そんな中、唐突にアイヴァンが口を開いた。
「それなら、これはどうだい?」
「え?」
 ルーナをはじめ、子供たちが不思議そうに父を見上げる。するとアイヴァンは、おもむろに片手に持っていた本を皆に見えるように掲げた。
「ご本?」
「そうだよ。これはね、ルーナだけのために書かれた特別な本なんだよ」
 優しい声音で告げると、アイヴァンは彼女の小さな手に持っていた本を手渡す。
「『ルーナ姫の魔法の薔薇』」
 アマリーがタイトルを読み上げると、ルーナは自分の名前が出てきたことに目を丸くした。
「わたちの名前といっちょだぁ」
「ハハ。さぁ、表紙をめくってごらん」
 首を傾げて父を見上げるルーナに、アイヴァンは優しく声をかける。それに促されるように彼女が本を開くと、覗き込んできたジーンとアマリーが信じられないとばかりに声をあげた。
「えっ! 『作:マーカス・リング』って、大人気作家だけど、滅多に書かないと有名な、あの!?」
「それに挿絵は、超売れっ子の画家、エイベル・ワイズよ!」
 興奮する兄姉たちを余所に、ルーナが開いた次のページに目を通したユアンは、さらに驚きの情報を提供する。
「ちょっと、これ。主人公のルーナって本当にルーナのことじゃない? だって銀の髪の三歳の女の子って書いてあるよ」
「わたち?」
 ポカンとしているルーナにクスクス笑いながら、アイヴァンは楽しげに告げた。
「ちょっとしたツテでね、ルーナのために作らせた世界でたった一冊の本だよ」
 ルーナのためだけに書かれた、彼女を主人公にした本。しかも内容もさることながら、その装丁がすごいのだ。
 琥珀色の皮装丁に金箔押しで書かれたタイトル。飾り罫には蔦薔薇があしらわれ、ところどころにキラキラと輝くのは本物の宝石だろう。たかが本、とはとても言えないような代物だ。
(父様、親馬鹿すぎる……)
 愛情からだろうとはいえ、権力と財力をこれ以上ないほど発揮して作られたものに、ルーナは手の中の本がぐんと重みを増やしたような気がした。
「よし、ルーナ。私が読んであげようね」
 呆気にとられる子供たちを余所に、アイヴァンはそう言ってルーナの隣に腰掛ける。そして彼女の手から本を受け取った。
 どうやら彼は、さりげなく『ルーナに本を読んである権』まで奪うつもりのようだ。
「ええっ! 父様ずるい!」
「そうだよ、ずるい」
「横暴ですよ」
 すかさず抗議するアマリー、ユアン、ジーン。しかしそんな子供たちの不満などどこ吹く風のアイヴァンは、長い足を組んでルーナに見えるように本を広げている。
 兄姉たちのもっともな言い分に、ルーナは恐る恐る父へと声をかけた。
「と、父しゃま……」
「ん?」
 父を見上げたルーナは、アイヴァンの満面の笑顔を見て、反射的に口を噤む。
(ごめん、兄様たち。なんかこの笑顔には逆らえません)
 顔を引き攣らせながらも、ここは流れに身を任せるしかないかとルーナがあきらめた時、ノックとほぼ同時にしてドアが開いた。
「あなた。ここ最近こそこそと何かしてらっしゃると思ったら、そういうことだったのですね」
「母しゃま!」
 ルーナの喜びの声に、部屋にいた全員が入口に立つ母ミリエルに注目する。
 彼女は優雅な足取りで歩いてくると、呆れたように夫であるアイヴァンを見た。
「いや……いつも皆がルーナに本を読んでやるだろう? 私も是非参加したくてね。ほら、どうせなら少しばかり特別な方がいいじゃないか」
 苦笑して説明するアイヴァンに、ミリエルは仕方が無いとばかりに肩を竦める。
「でも子供たちと張り合うだなんて、大人げないですわよ」
「おい。それを言うなら黙ってやり取りを聞いていたミリエルもだな、立ち聞きなどレディにあるまじき……」
 妻の批判にそう反論するアイヴァン。しかしミリエルはそれを遮り、動じることなく嘯いた。
「立ち聞きなど人聞きの悪い。偶然通りかかったところ、勝手に聞こえてきただけですわ」
(絶対、嘘だろ!)
 心の中で突っ込むものの、アイヴァンは妻ににっこりと微笑まれて怯む。だが意を決すると再度抗議を試みた。
「ともかく。最近忙しかったから、私だとてルーナとだな……」
「言い訳は男らしくございませんわよ?」
 ぴしゃりといい放つミリエルに、アイヴァンは思わず言葉を詰まらせる。その隙に彼女は夫から本を取り上げると、にこやかにルーナに声をかけた。
「ルーナ、母様が向こうの部屋でこの本を読んであげるわ」
「あい、母しゃま」
「ミリエル……それは、私が持ってきた本なんだけど、な……」
 アイヴァンが小さくミリエルへと声を掛ける。しかし――
「何か問題がありますの?」
 大輪の薔薇のような妻の微笑みに、アイヴァンは「なんでもない」と弱々しく返すと、大きなため息を零した。
「さ、ほら、いきましょう」
「うんっ」
 ソファから立ち上がったルーナは、母と手を繋ぐと楽しげに部屋を後にする。
 残された父と兄姉たちは、あまりにも鮮やかな手法でルーナを連れ去られ、ただ呆然と閉まるドアを見つめるしかなかった。
「母様、最強よね……」
 しばらくしてポツリとつぶやいたアマリーに、その場にいた全員が深くうなずいたのだった――



***



 一方、別室に移動した母娘。
 ミリエルの隣にぴったりとくっついて座り、ルーナは彼女の優しい声で紡がれる物語に耳を澄ませていた。
「――ルーナ姫が微笑むと、魔法の薔薇がみるみるうちに綻んでいきます。そして……あら?」
 ぽふっと軽い衝撃を受け、ミリエルは朗読を止めて視線を移す。すると先ほどまで熱心に耳を傾けていたはずのルーナが、いつの間にか彼女の膝に頭をのせて眠っていた。
 ミリエルは静かに本を閉じると、それをそっと脇に置く。
「この続きはまた今度ね。……おやすみなさい、ルーナ」
 優しく頭を撫でられたルーナは、答えるように穏やかな寝顔に微笑みを浮かべたのだった。 


- end -

2012/06/29 再掲