第三章 繋がれてゆくもの
春らしい陽気の四月。
昨年十二月の誕生日で五歳になったルーナは、王都から遠く離れたベルデの森にいた。
この森はクレセニアの西、隣国エアデルト王国との国境にある霊峰ロウゼイル山の裾野に、両国を跨ぐ形で広がっている。
この地を治めるベルデ子爵は、リヒトルーチェ家の遠縁にあたる。その嫡男の結婚式にあたり、招待された公爵夫妻と共にルーナも数日前からベルデに滞在していた。
本来ならばルーナは本邸にて留守番の予定だったのだが、弱冠五歳の娘を、使用人がいるとはいえ一人で残すことを心配した両親は、結局彼女を伴って招待を受けることにしたのだ。
緑の隙間から漏れるキラキラとした太陽の光を、ルーナはまぶしそうに目を細めて見上げた。
「トマス、あの鳥はなぁに?」
「ああ、あれはキルルですだよ。あの頭にある緑の羽根が特徴ですがな」
白髪頭のトマスは、木の枝に止まった小さな鳥を指差して答えた。
トマスはベルデ子爵家に勤める使用人で、ルーナたちが滞在している間はもっぱら彼女のお守りを仰せつかっていた。ルーナはこの物知りな老人を祖父のように思って懐いており、彼もまた彼女を実の孫のように可愛がっていた。
今日も二人は手を繋ぎ、子爵家の館から程近いベルデの森へと散策に来ていた。
「あっ、兎がいる!」
不意に前を横切った兎をルーナは嬉々として追いかける。トマスはそんな無邪気な姿に微笑みながら後をついていった。
「まってぇ」
夢中で追いかけているうち、ずいぶんと奥に来てしまったらしい。ハッとしたルーナは、思わず後ろを振り返り、そこにトマスの姿を見つけてホッと胸を撫で下ろした。
(最近肉体年齢に、精神年齢が引きずられてる気がする……幼児を演じてるとそうなっちゃうものかなぁ。まぁでも実際五歳だし。痛い人ではないよね。うん)
自分への言い訳をこっそりつぶやきつつ、ルーナは恥ずかしそうにトマスに謝罪する。
「ごめんね。つい夢中になっちゃった。どうしよう、帰れる?」
尋ねるルーナに、トマスは微笑みを浮かべ首を縦に振った。
「大丈夫ですだ。わしはこのベルデの森の民と呼ばれる一族の出でしてな、この森も庭のようなものですんで」
「そうなんだ。トマスってすごいのね」
尊敬の眼差しを受けて、トマスは照れたように頭を掻く。
「んでは、もどりましょうか、嬢ちゃま」
トマスに促され「うん」とルーナが答えかけた時、近くでガサガサと葉を揺らす音がした。
「な……に?」
ビクッと震えるルーナを後ろに庇い、トマスはじっと音がした方向を睨んだ。
鹿や兎の類いならば良いが、熊や狼、さらには魔物の類いならば厄介だ。トマスは、視線を外すことなくそっと腰から護身用の短剣を引き抜いた。
老齢とはいえ、森の民の血を引くトマスは短剣の扱いに長けている。熊一頭くらいなら追い払う自信があった。
だんだん近づいてくる音に、トマスとルーナの緊張は高まる。
気配はゆっくりとではあったがさらに近づいてくる。目の前の低木ごしに影が見えると、トマスは胸の前に短剣を構えた。
こちらの気配に気づいていないのか、影はなおも近づいてくる。瞬間、ガサリという音と共に低木の枝を払う手が見えた。
「えっ」
その手を見てルーナの口から小さく驚きの声が漏れる。低木の向こうから現れた手はどうみても人間のそれだったのだ。
驚く二人の前に次いで現れたのは、緩やかに波打つ金茶色の髪の、黒い服を着た幼さの残る少年だった。
俯いていた少年は、やっと目の前のトマスやルーナに気づいたのか、ハッと青緑色の瞳を見開くと慌てて踵を返そうとした。
「うっ……」
少年は一歩踏み出した途端、苦しそうに呻いて倒れこむ。それを呆然と見ていたルーナたちは我に返ると、慌てて彼に駆け寄った。
近づくと、少年は腹部に手を置いて意識を失くしている。その手は赤く染まり、今もなお赤い液体が押さえた手を伝って流れていた。
「大変っ」
ルーナは少年の横に膝をつくと、トマスに叫んだ。
「トマス、館から人を呼んできて! わたしは白魔法で治療するから。早くっ!」
「嬢ちゃま……」
「急いでっ! 大丈夫、いざとなったら短時間の結界も張れるから」
自分の身を心配して動かないトマスをそう諭すと、ルーナは少年の傷口に手を当てた。
それでもなお躊躇うトマスだったが、少年の一刻を争う状態に覚悟を決めるとその場を走り去った。
『サザール・ディア』
正しく発音できるようになった呪文の詠唱と共に、ルーナの手から白い光が溢れ出す。癒しの光だ。
それはすぐに少年の傷口へと流れ込み、その傷をみるみる癒していく。
「頑張って……」
流れ出る血液の量だけでも、彼の傷がかなり酷いものだと想像がつく。
魔法は素晴らしいものだが万能ではない。傷を癒すことはできても、失った血を戻すことはできないのだ。そのため手遅れという事態も十分に起こりうる。
ルーナは必死に祈りながら、魔力を治癒の魔法に変えて少年に送り続けた――
つづきは書籍で_(。_。)_
如月ゆすら