リセット 〜 Trial Version 〜



第2章 新たなはじまり 08


『ラノア・リール』
 ユアンが呪文を唱えると同時に、先ほど教師が見せたような、完璧な防御魔法が花瓶の周りに張り巡らされる。
 その瞬間、鈴を鳴らしたような愛らしい声がユアンと教師の耳に届いた。
「わぁっ、しゅごーい」
 驚いて二人が声の方を見ると、いつの間にいたのか目をキラキラさせたルーナが図書室の入口に立っていた。
「ルーナ?」
「ユアン兄しゃまぁ」
 トコトコと近寄ってくるルーナの姿は、まさに小さな天使。まっすぐな銀髪が揺れ、水色のモスリンドレスの背中にある大きな白いリボンが、まるで羽根のように見える。
 ユアンは近づいてくる妹を抱き上げると、自分の膝に乗せた。
「ルーナどうしたの? 勝手に出歩いたらマーサが心配するよ」
「ごえんなしゃい」
 ペコリと頭をさげるルーナに、妹に弱いユアンはそれ以上何も言えず苦笑する。
「しぇんしぇい、邪魔しないから、いていい?」
 コテンと首を傾げてお願いするルーナに、魔法研究一筋の朴念仁教師もあっさりと陥落した。
「もちろんですよ、ルーナ様」
(さすがはルーナ。あの厳しいトール先生も逆らえない……)
 そんなことを兄が思っているとは知らず、ルーナはワクワクと授業の続きを待っていた。
 ユアンが教師と共に防御魔法の練習をしている横で、ルーナは彼の教科書ともいえる魔法書を眺めていた。
 最初は魔法の練習に興味津々だったルーナだが、精度を高めるために何度も繰り返すのを眺めているばかりではさすがに飽きる。そこで目の前に置かれていた兄の魔法書を読むことにしたのだ。
 もちろんルーナがそれを読めるとは思いもしない二人は、彼女が本で遊んでいるくらいの認識だ。
 パラパラとページをめくるフリを繰り返し、兄たちの注意が逸れたのを見計らってじっくり読み始める。
(神様の贈り物である特殊能力のせいなのか、読み書きに苦労しないのは助かるなぁ)
 ルーナには、ありがたいもの、ありがたくないものを含めて、いくつかの贈り物が、知らない間に付与されていた。
 やたらと美少女な容姿、前世より優れてる記憶力に加え、この世界の言葉や文字が理解できる能力などだ。また確認できていないだけで、他にも何かあるかもしれないのが怖い。
 もっとも身体の動きは一般的な子供と変わらないため、そのため三歳児らしからぬ言動はするものの、舌がまわらないため彼女の喋り方は舌足らずで愛らしいのだ。
 この舌足らずが、ルーナを年相応に見せているのを自覚しているので、彼女はあえて直そうとも思わなかった。そしてそれは、いずれ直るというのも理由にあるのだが。
(なになに『魔法は基本的に二つの系統から成り立つ。攻撃、そして攻撃補助の魔法を黒魔法といい、一方防御や強化補助、治癒の魔法を白魔法という。これらすべての魔法は古代魔法言語の呪文を媒体に、自身の魔力で様々な現象を起こすことができる』か。ふぅん呪文ねぇ。言霊って感じよね。意味のある言葉で魔法発動って)
 魔法使いになりたくてこの世界に転生したルーナ。すっかり魔法書にのめり込んでいる。
(わたしも早く魔法習いたいなぁ。勉強は嫌いだけど、魔法使いになるためならすっごく頑張るのに。魔法の才能があるのはわかってても、使い方がわかんなきゃ使えないし。あーあ、ユアン兄様いいなぁ。話を聞く限りじゃ魔法の勉強は五歳ぐらいからっていうし、まだまだ先かぁ)
 うーんと唸りながら魔法書を睨みつけるルーナに、トールが気づいて声をかける。
「ルーナ様、そろそろお部屋に戻られますか?」
(あ、飽きたと思われたのかな?)
 むしろもっと読み耽っていたかったが、怪しまれるのは厄介なので、ルーナはコクンと素直にうなずいてみせた。
「お部屋に帰りましゅ。しぇんしぇい、兄しゃま、お邪魔してごえんなしゃい」
「いいのですよ、ちっとも邪魔じゃありませんでしたし」
 兄の膝から降りてルーナが舌足らずな口調でそう言うと、相好を崩したトールはにこやかに返した。
 ルーナはにっこり笑って兄と教師に小さな手を振ると、トコトコと歩いて図書室を出ていった。
 パタンと図書室のドアが閉まると、ルーナはドアを背にその場に立ち止まる。
(魔法の勉強かぁ……兄様なら味方になってくれる?)
 くるりと振り返ると、ルーナは閉じられたドア越しのユアンにそう心の中で尋ねた。