リセット 〜 Trial Version 〜



第2章 新たなはじまり 05


 なんとか自己暗示に成功し、水面に映る自分から視線を逸らした時だった。ツルリと小さな手が芝生の草で滑り、彼女の身体は前のめりに池へと突き出される。
(あっ!)
 そう思った時にはなす術もなく、ルーナはそのまま池の中へとダイブしていた。
――バシャンッ
 水音と共にルーナの全身が冷たい水に包まれる。
(不幸体質改善されたんじゃなかったのぉ!?)
 心の中でそんな叫びをあげている間にも、ルーナの身体はゆっくりと沈んでゆく。彼女は咄嗟に息を止めたものの、小さな肺はすぐに悲鳴をあげ、苦しくて目を閉じた。
(うぅっ、誰かっ!)
 そう助けを求めた時だ。
『可愛いお姫様。落ちてしまったのね』
 不意に聞こえた声――というより頭に直接響くもの――に、ルーナは驚きで目を開けた。
 それと同時にためていた空気を吐いたルーナは、その反動で水を飲んでしまい、さらにパニックに陥る。
『大丈夫。今助けてあげるから』
 優しくそう言われた瞬間、ルーナをしゃぼん玉を思わせる丸い球体の泡が包んだ。驚きでまたしても口を開けてしまったルーナだが、今度口に入ってきたのは水ではなく新鮮な空気だった。
(息ができる……?)
『ふふふっ、お転婆は程々にしなければだめよ、お姫様』
 目に見えない誰かが楽しそうにそう告げると、泡が水の中をゆっくりと浮かび上がってゆく。
 水上にあがると、彼女を包んでいた泡はすぐに消えてしまった。代わりに水面の穏やかな波がゆらゆらとルーナの身体を持ちあげたまま岸へと運んでゆく。
 やがて池の岸に辿り着くと、波はゆるやかに盛り上がり、地面に彼女を優しく置くとすぐに何事もなかったかのように引いていった。
(な、何今の?)
 呆然とするルーナに、遅まきながら事態を知った兄姉やマーサが駆け寄ってきた。
「ルーナ!」
「ルーナ様!」
 池の岸辺に座り込むルーナを、駆け寄ってきたマーサが力いっぱい抱きしめる。
「ああ、ルーナ様、申し訳ありません」
 涙を流してあやまるマーサを見て、ルーナは途端に激しい後悔に襲われた。
 軽い気持ちで行動して、彼女を泣かせてしまった。「ごめんなさい」と言えない赤ん坊の自分が歯がゆくて涙が溢れた。
 ルーナはマーサのふくよかな胸に包まれ、泣きながら心の中で詫びる。
 慰めるように何度も兄姉たちに背中を撫でられていると、疲労も相俟ってルーナはやがてマーサの腕の中で眠りに落ちていった。

「マーサ泣かないで。ルーナは無事だったんだから」
 泣き止まないマーサをアマリーが必死で慰めると、彼女は腕の中ですやすやと眠るルーナを見、続いて心配そうに自分を見上げる子供たちを見て、やっと小さく微笑んだ。
「はい、申し訳ありません。アマリー様」
 ホッとした空気が流れたところで、マーサの横に座り込んでいたユアンが口を開いた。
「ねぇ、ルーナは池に落ちたのに、何で濡れてないのかな?」
 ルーナのベビードレスを触りながら、ユアンは不思議そうに兄を見た。
 確かに彼の言うとおり、池に落ちたはずのルーナ本人はおろか、その着ているドレスもまったく濡れてはいなかった。
「池に落ちてなかったってことはないよね?」
「そんなはずないわ! 水面から浮き上がってきたのを見たもの」
「僕もだよ、だから不思議なの」
 アマリーもルーナのドレスを確認するが、やはり湿ってさえなかった。
 その様子に一人難しそうな顔をしていたジーンは、確信がないのか自信なさげに答える。
「水の精霊のせいかも。精霊は気に入った人間に<加護>を与えるから」
(類いまれな魔力に、精霊の加護か……)
 聡明な少年は、妹の行く末を思うとその顔をひっそりと曇らせた。