リセット 〜 Trial Version 〜



第2章 新たなはじまり 02


 廊下の端にある両親の主寝室に近づくと、「おぎゃぁ」という甲高い赤ん坊の泣き声が三人の耳にも届いてきた。
「赤ちゃん泣いてるよ」
「ほんとだ」
 心配そうなユアンとアマリーの様子に、マーサはクスクスと笑うと、安心させるように声をかけた。
「赤ちゃんは泣くのがお仕事なのですよ。それに大きな泣き声は元気な証拠なのです」
「じゃあこの子はすごく元気だね!」
 三人はマーサの言葉に安心すると、今度はワクワクしながら両親の寝室に足を踏み入れた。
「おやおや、全員起きていたのかい?」
 パタパタと部屋へ入っていった三人は、すぐにそう声をかけられた。
 声の主は、彼ら三人の父であるアイヴァン・クレイ・リヒトルーチェ公爵。彼は眼鏡をかけた端整な顔に穏やかな笑みを浮かべながら、天蓋のあるベッドの傍らに立っていた。
 そのベッドには、疲れは見えるもののいつもと同じ綺麗な母ミリエルの姿があり、三人はホッと安心して顔を綻ばせた。
「父様! 赤ちゃんを見せて!」
「母様、大丈夫?」
「赤ちゃんどこ?」
 三人三様の言動に苦笑しつつ、アイヴァンは三人を手招きした。
「ここへおいで」
 それを合図に我先にと彼に近づいた三人は、母親のベッドの横にある小さな寝台をとり囲んで中を覗きこんだ。
 そこにはすやすやと眠る赤ん坊の姿。生まれたばかりだというのに肌はうっすらとピンク色がかった白磁で、ふわふわとした髪はこの世界でも珍しい銀色だった。
「可愛い!」
「さっきまで泣いてたのに、もう寝てる」
「天使みたいだね」
「お母様と同じ銀色の髪だわ」
「目は何色かな? 僕たちと同じかな?」
「きっと母様と同じ緑だよ」
 興奮して一斉に口を開いた後、今度はうっとりと生まれたばかりの妹を見つめる三人に、両親はそっと微笑みを交わす。
 三人の子供たちは、皆父親譲りの濃い金髪と青い目を受け継いでいる。だが生まれたばかりの彼女は唯一母親似の銀髪だった。
「父様、この子の魔力すごいね……」
 じっと末の妹を見つめていたジーンが父を振り返りながら言った。同じく強い魔力を持つ身だからこそ気づいたのだろう。
「ああ、クレセニア随一と言われる、リュシオン王子にも匹敵するかもしれないな」
「リュシオン殿下にも? ……それって大変なことなんじゃ」
 驚く長子に、アイヴァンは重々しくうなずく。聡い息子はそれがどんなに大変なことかわかったらしい。
 アイヴァンはそんなジーンの頭に手を置くと、他の二人にも視線を合わせ、真剣な表情で口を開いた。
「いいかい? この子には平凡な人生は望めないかもしれない。だが幸せな人生にすることはできる。私とミリエルはそのための努力を惜しまないつもりだ。だからおまえたちも妹を精一杯愛してやってほしい。そうすればきっとこの子は幸せになれるだろう」
 父の言葉に三人はそれぞれ顔を見合わせてから、しっかりと父にうなずいた。
「僕たちさっき誓い合ったんだ。皆でこの子を守るって」
「そうよ、わたしたちの妹だもの」
「僕もこの子を守るよ!」
 三人の言葉にミリエルは思わず涙ぐむ。
「どうかこの子の行く末が幸せでありますように……」
 母のつぶやきは、そこにいるすべての人の願いだった。
 そしてそれは赤ん坊の魂の中に眠る、千幸の耳にもしっかりと届いていた。
(ありがとう、神様。こんな家族をわたしにくれて)
 まどろみの中、赤ん坊の中で眠る千幸は幸せそうにつぶやいた。そしてまた優しいまどろみに身を委ねるのだった……

 その日クレセニア王国にて、王家にも繋がる名門貴族、リヒトルーチェ公爵家の末娘として生まれた赤ん坊は、ルーナレシア・リーン・リヒトルーチェと名づけられた。
 彼女の新たな人生はまだ始まったばかり――