リセット 〜 Trial Version 〜



第1章 不幸少女の最大の不幸 07


「どもっ、高崎千幸さん。担当天使のミチオです」
「……はぁ」
 目の前で白い羽根を生やした白いスーツの男が、にこやかに握手を求めた。
 にへらと笑うその顔は、愛嬌のある童顔だ。
 千幸は差し出された手におずおずと自分の手を重ねるが、その表情は胡散臭い人物を見るそれだった。
 それでも彼女が騒ぎ立てないのは、周囲の状況があまりにも現実離れしていたからだ。
 まず風景というものがない。奥行きさえわからないほど、ただどこまでも白いのだ。ふと自分を見下ろせば、着ていた服まで飾り気のない白いワンピースに変わっている。
 幸か不幸か、千幸には展望台から落ちたという最悪の記憶があった。
 さらに目の前には天使と名乗る男がいて、背にはとても作り物とは思えないほど精巧な、パタパタと動く羽根を生やしている。
 それらのピースを嵌め込んでいけば、ありえないと思いつつもひとつのパズルが完成する。
(信じたくないけど、ここって天国って奴かも……)
 はぁっとため息をついた千幸に、目の前の天使――ミチオはためらいがちに声をかけた。
「えーと、薄々わかっていると思いますが、まず貴女は先ほど天に召されました」
(そんなニコニコ言われると、なんだか死んだのを喜ばれてるみたいでムカつくんだけど……)
 顔を顰めた千幸に気づかないのか、ミチオはなおもニコニコと笑顔で話し続ける。
「それでですねぇ、私、千幸さんに謝らなくてはならないことがあるのですよ」
「謝る?」
「そうなんです。実は千幸さんは今日死ぬ予定ではなかったんです」
「はぁぁ?」
 ミチオの言葉に、千幸は思わず大きな声をあげた。彼はそんな彼女に構うことなく淡々と話を続ける。
「申し上げにくいのですが、今日死ぬのは千幸さんにぶつかったイノシシの予定だったんです」
「イノシシ!?」
(あの衝撃はイノシシだったのか……ってことは最後に見た黒いものが?)
「そうなんです。野生の獣というのは本能で生きているものですから、稀に鋭く死の存在を感じとるんです。そしてパニックに陥る個体がいるのですよ」
「……で?」
「そ、そんなに睨まないで下さいよ。笑った方が可愛いですよ。ほらスマイル、スマイル」
「……早く続き話して」
「わ、わかりました。続けますね。で、パニックになって逃げ出したイノシシが突進した先にいたのが千幸さんっ、貴女なんですー」
 パチパチと拍手しながら、まるで千幸が何かに当選したかのようなミチオの態度。それにプチンと切れた彼女は、無言でミチオの腹に一発拳を打ち込んだ。
「ぐふっ……いいパンチです」
 倒れかかりながらも親指を立てて見せたミチオに、千幸は冷たい目で先を促した。
「いいから、さっさと続き」
「は、はいっ。こんな事故は滅多にないことなんですけど、調べてみたら千幸さんって稀に見る不幸体質なんですね……お気の毒です」
(天使にまで同情されるほどの不幸体質だったのか……)
 いたわしそうな眼差しを向けるミチオに、千幸の顔がヒクヒクと引き攣る。
「だって本来ならあの場所にイノシシが現れることは稀ですし、出たとしてもこの寒い日にあの展望台に人がいることも滅多にないので、イノシシがたとえ暴れたとしても問題はないはずなんです。つまりこんな偶然が重なる確率は、小数点以下のゼロがどんだけってくらいありえない事故なんです。これはもう、ある意味すごいことですよ?」
「そう……だね」
 妙な感心をするミチオに、さすがにポジティブ人間の千幸もへこむしかない。