リセット 〜 Trial Version 〜



第1章 不幸少女の最大の不幸 02


 息を呑む千幸の存在に、互いしか目に入らなかった彼らも気づいたらしい。
「ち、千幸!?」
 驚きの声をあげる晴樹を、千幸は答えることなくただ呆然と見つめる。
 晴樹は慌ててキスを交わしていた少女から離れるが、そんな態度に少女の方は不満そうな声をあげた。
「ちょっとぉ! なぁに焦ってるのよぉ」
「おいっ」
 晴樹の首に自分の腕を巻きつけながら、少女は挑戦的な眼差しで千幸を見る。彼女が顔を向けた途端、千幸は知っている顔に思わず「あっ」と声をあげた。
 島田麗佳。地元の名士の娘であり、美人で成績も優秀。さらに社交的な性格も相俟って、教室に君臨する女王のような少女だった。
 高校は同じクラスではなかったため疎遠だったが、実は彼女と千幸は中学校の三年間同じクラスだった。
 ただ実際は、元同級生などという単純な関係ではない。
 麗佳は何故か昔から千幸が気に入らず、ことあるごとに目の敵に――簡単にいえばいじめの標的にしてきたのだ。
「もぉ、いいじゃーん。晴樹言ってたでしょ? あんなつまんない女とは別れるってさぁ」
 楽しそうに暴露する少女を見て、千幸は一瞬で彼女の思惑を理解した。
 そう考えれば、晴樹の伝言を伝えてきたのも麗佳の取り巻きの一人だったと今更気づく。
(あれは、浮気現場を目撃させるための伝言……?)
 答えが導き出されたからといって救いはない。
「何でっ……晴樹っ!」
 千幸が悲痛な声で問いかければ、晴樹はバツが悪そうに頭を掻きながら口を開いた。
「何でって、今時お子様じゃあるまいし、清い交際とかありえねぇだろ? だから浮気したくなるんじゃん」
「そんな……」
「もうっ! 浮気じゃなくて、こっちが本命だって言ってよねぇ」
 甘えた声で晴樹の肩を叩く麗佳に、開き直ったのか晴樹は「わりぃ」と笑顔を見せる。
「ま、そういうことだしちょうどいいか。悪いけどおまえとは別れるわ」
「あらら、振られちゃった。かーわいそぉ」
 同情の言葉を口にする麗佳はそれとは裏腹に、混乱する千幸を満足そうに見つめていた。
(どうして? 何でこんなことに?)
 理不尽な展開に千幸の目には涙が浮かぶ。けれどそんな彼女を嘲笑うように、麗佳はさらに追い討ちをかけた。
「てかさぁ、晴樹ってば知ってるぅ? この子ってば親いないのよ。今は一人暮らしだけど、ずっと施設で暮らしてたんだからぁ」
「マジで?」
「嘘じゃないわよぉ。ねぇ、高崎さん?」
「へぇ、施設ってひょっとして親が虐待とか? そんな身内いるとかやべぇだろ。別れて正解だったかもなぁ」
 適当な思い込みで、残酷な言葉を軽々と口にする晴樹の前で、千幸の心は容易く粉々になった。
 逃げ出したい。一秒でもこの場にいたくない。そう思いながらも、心に受けた衝撃のせいか、凍りついたように千幸の身体は動かなかった。
 そんな彼女の横で、二人はなおも会話を続ける。
「そういうのは最初に言っとけよなぁ。あーあ、俺ってば騙されてた?」
「そうよねぇ。晴樹かわいそぉ」
(親がいないのは恥ずかしいこと?)
「だよなぁ。俺バイト辞めるから学校でも話しかけるなよ、嘘つき女」
(話さなかったことは、そんなに悪いこと?)
「ちょっとぉ、そんなこと言ったら彼女、泣いちゃうんじゃない?」
「嘘つき女にまで同情するとか、麗佳優しいなぁ」
「惚れ直した?」
「おー。んじゃもう行こうぜ」
 汚いものでも見るかのように千幸を一瞥すると、晴樹はそのまま彼女の横を通り過ぎる。彼の後に続いた麗佳は、千幸の横で立ち止まると彼女の耳元に囁いた。
「ざまーみろっ」
 パタンと扉が閉まると同時に、千幸の瞳から涙が零れ落ちた――