リセット Side Story



ルーナを探して ...03

※ルーナ6歳の春あたりのお話です。カインはなんだかんだで甘い。


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 王都ライデール、王宮を中心とした貴族が住まう豪邸が立ち並ぶ北地区の中でも、一際目に付く美しく壮大なリヒトルーチェ公爵邸。
 その邸の中を、カインはルーナを探して駆け回っていた。
 玄関ホール、広間、大広間、ロング・ギャラリー、図書室。順番に探すだけでも結構な重労働だ。しかも探す相手はルーナだ。邸内だけで大人しくしていてくれるなど奇跡だ。





 それは遡ること数時間前のこと。
 部屋で過ごしているとばかり思っていたルーナがいなくなった。
 その時間カインは勉強の時間に当てられており、普段ならばルーナは子守のマーサと部屋で過ごしている。それがいきなりの行方不明である。マーサは青くなってカインの下を訪れた。
「カイン様、大変です。ルーナ様のお姿が」
 邸内であれば賊などの心配は極めて低い。だが相手は公爵家の末子。そして六歳の少女だ。一人にするというだけで心配であるし、彼女の場合行き先も告げず庭園に出ることもあるので余計に心配が募る。
「わかりました。僕も探しますから」
「申し訳ありません」
 項垂れるマーサの肩を慰めるように叩き、カインは安心させるように笑顔を浮かべた。そうして邸内のほとんどを探し終えたカインが、いよいよ外かと思った時だった。
 一階の廊下を歩いているところに、料理人の制服に身を包んだ男が現れた。
「カイン様! お願いします、ルーナ様を何とかしてください!」
 彼はカインを見ると明らかにホッとした表情を浮かべ、そう泣きついた。
「ルーナ? ルーナは厨房に?」
「はい。いきなり厨房に入って来られてお菓子を作りたいと」
「は? 菓子を? 一体どうして……」
「わかりません……ですが皆仕事に集中出来ないのです」
 驚くカインに、料理人は心底困った顔で頷く。ルーナの行動を理解できないのは彼も同じだ。使用人の子供が厨房に紛れ込むくらいならば彼らもここまで動揺することはないだろう。
 しかし彼女はれっきとした公爵令嬢。しかも六歳の幼い少女だ。万が一怪我などとなれば責任の取りようもない。更に悪いことに、それがわかっていても彼女を咎めることのできる者はいないということだ。
 ここにいても埒があかないと思ったカインは、大きなため息を吐くと、料理人を伴なって厨房へと向かった。




 厨房は地下にある。地階は厨房や洗濯室などと共に使用人たちの部屋があり、普通ならばカインやルーナが近づくこともない場所だ。もちろん地下といってもリヒトルーチェ邸のことである。使用人の快適な暮らしにも気を配ることができる主人によって清潔で快適な空間が広がっている。
 地階の廊下を進んでいくと、使用人たちがカインの姿に目を丸くして深々と頭を下げる。カインは頷きながら奥へと進み、厨房へと足を踏み入れた。
 中には数人の料理人と、キッチンメイドがおろおろとルーナを囲んでいる。その中心にいるルーナはといえば、作業台に背が届かなかったのか、木箱を踏み台にして小さな身体全体を使うようにして台の上の生地を伸ばしている。
 刃物や火を使っているわけではないが、その一挙手一投足にその場にいた全員が一々息を飲んでいる。
 カインは半ば呆れながら、スタスタと作業に夢中になっているルーナに近づいていった。
 彼の姿に気づいた料理人や使用人たちが、あからさまにホッとした表情を浮かべ、彼を通すように開けた道を通り、カインはルーナの横に立った。
 それでも作業に集中しているのか、ルーナの視線は手元に固定されている。カインは暫く彼女を見守っていたものの、一向に気づく気配がない為しかたなく声を掛けた。
「ルーナ」
「ぅひゃいっ」
 突然話しかけられたことに驚いたのか、奇声をあげたルーナは驚かされたことを責めるように、カインを恨めしそうに見た。
「びっくりしたなー、もう」
「何をしているんです……」
 責めるルーナを無視して尋ねると、ルーナは粉で白く汚した手を腰にあてるとにっこりと言った。
「ふふっー。パイを作ってるんだよ!」
 ルーナは得意気に言い放ったものの、ぽかんと無反応なカインにむぅっと口を尖らせる。
「反応なし? すごいとか、素晴らしいとかないの?
 ほら、これ見て! 目分量の割にはいい感じに仕上がったんだよ?」
 褒めて褒めてといわんばかりのルーナの態度に、カインは彼女の指した作業台の上の生地を見る。菓子作りなど知るわけもないが、確かに上手に出来ているようには見える。
「あとはねー、オーブンで焼くだけなんだよ? 
 オーブンはよくわかんないからやってもらうんだけどね」
 そう一方的にしゃべりながらも、ルーナの手つきは慣れたもので、見る間にパイの原型らしきものが作り上げられていく。
「セオリオさん、後はお願いね」
 ルーナににっこりと微笑まれてそうお願いされれば、料理長セオリオの困惑していた顔は、一気にトロンととろけそうなものに変わる。
「わかりました、ルーナ様。本当に素晴らしい出来ですよ」
「本当? 嬉しいな」
 はにかんだ笑みをルーナが浮かべれば、今度は周りのほとんどがとろけそうな笑顔でうんうんと頷き返す。
(だめだこれは……)
 主人の娘の乱入に、困惑し、正直迷惑にも思っていただろう使用人たちの変貌に、カインは頭を押さえたくなった。
「ルーナ様、あとはあたしが焼いて、お部屋にお持ちしますから」
「うんっ、よろしくね」
「はい、かしこまりました」
 残りの工程を引き受けると提案してきたメイドに頷くと、ルーナはカインの手に自分の手を重ねて握ると、ご機嫌なままに大きく振り回す。
「じゃ、部屋に行こう、カイン」
(部屋に行こうじゃないでしょう……皆を心配させて)
 そう思ったものの、ルーナのあまりにも嬉しそうな様子にカインは咎めるのをやめた。だが理由は聞かなければならない。
 部屋に着いたカインは、ソファにぽすんと腰かけたルーナの前に立った。
「ルーナ、どうして厨房に?」
「今はダメ」
「は?」
「ちょっと待ってて。着替えてこなきゃだし!」
 そう言うとルーナは隣の続き部屋へとひっこんでしまった。残されたカインは理不尽な思いを抱きながらも、ふうっと諦めのため息を零してソファに座った。
 着替えといったまま隣の部屋から出てこないルーナに、いい加減待ちくたびれたカインが様子を見ようとした頃だった。
 やっと隣の部屋からルーナが戻ってくると、同時に先ほどのメイドとマーサが一緒に現れた。
「マーサ、ジニーありがとう!」
 満面の笑みでルーナがマーサとメイドに礼を言う。てっきり黙っていなくなったルーナを嗜めると思ったマーサは、その様子を黙ってにこやかに見守っていた。
 そしてマーサはカインの視線に気づくと、肩を竦めた後、困ったような笑みをルーナに向けて口を開いた。
「ルーナ様、今度から私にはちゃんと理由(わけ)をおっしゃってくださいね」
「ごめんね、マーサ」
「おっしゃっていただければ、カイン様のところに行ったりしませんでしたのに」
(自分……?)
 ルーナとマーサの会話にカインはますます首を傾げる。マーサはルーナに苦言を呈しているものの、その内容は勝手にいなくなったことではない。
(一体、なんなんだ)
「ルーナ、一体どういうことです?」
 訳が分からない成り行きに、カインは眉間に皺を寄せて問い詰めた。
「だって今日は特別だもん」
 にっこりと笑顔で返され、カインはキョトンと首を傾げる。
(特別? 今日が? 一体何の日だ?)
 心当たりを思案するカインを見上げ、ルーナはくすくす笑い出す。その場にいたマーサもジニーも同じように笑いを堪えている。
「わかんないみたいだね」
 くすくすと笑うと、ルーナはジニーに目配せした。すると彼女は恭しく頷いて白い丸テーブルに、運んできたワゴンからティーカップなどを取り出し、テーブルにお茶の準備を整えだす。
 どうやら先ほど作っていたパイでお茶をするらしい。準備ができると、マーサとジニーはクスクスと笑いながらも、一礼して部屋から出て行ってしまった。
 残されたカインは困惑しながら、ルーナを見る。するとルーナはニコリと可愛らしく笑うと、カインの手を引いた。
「お茶しよう!」
 頷いてテーブルにつくと、ルーナは「じゃじゃーん」とテーブルに載ったパイを自慢気に披露した。それは彼女が自慢するだけあって、美味しそうに出来上がっていた。
「カイン、林檎のパイ大好きでしょ?」
 ルーナの言葉に頷きながら、カインは思う。
(じゃあ、これは自分の為?)
 そう思うと、嬉しくもあり、少しばかり恥ずかしくもあった。
 照れ隠しもあり、カインは神妙な顔を作る。
「ルーナがご自分で作らなくてもよろしいでしょうに。怪我でもしたらどうするんです」
「大丈夫だよ。慣れてるもん」
「慣れてる?」
「あっ、ちがっ……えっと、作り方は本で見たから知ってたの」
「そうなんですか? でも危ないですし、あまり厨房などに出入りするのは感心しません」
「でも今日はカインの誕生日でしょう? 人任せじゃなくて、私が作りたかったんだもん」
「え?」
「折角内緒にしてたのに、マーサったらよりによってカインに助けをもとめちゃうんだもんな」
 ルーナの拗ねたような言葉に、カインは真っ白な頭から少しずつ立ち直る。
(誕生日? 僕の? え……)
 固まっているカインにくすくすと聞こえる、天使の笑い声。
「ねえねえ、嬉しい?」
 悪戯っぽく聞かれ、カインは内心「やられた」と苦笑する。こんな風に言われたら、絶対怒れない。
 ――ここに来て数ヶ月。幸せだと思う。
 それは一緒にいる天使のような少女のおかげだろうか?




「嬉しいです。ありがとうございます、ルーナ」
「うん。生まれてきてくれてありがとう。カイン。
 お誕生日おめでとう」
 こちらこそありがとうございます。いつも傍にいてくれて。




- end -

2010/02/05

SideStoryより。