リセット Side Story



ある学生の一日 ...02


 レングランド学院に通う学生は、週末までの五日間を寮で暮らしている。しかし週末に自宅に帰る者は少なく、ほとんどの生徒は長期の休暇まで寮暮らしだ。
 寮は男子が四つ、女子が二つあり、入学した年によって交互に振り分けられる。寮の部屋は二人から四人部屋になっており、基本的に卒業まで変わらない。
 そんな寮のとある部屋。
 ハリー、ロイ、ギレンという三人の学生が暮らしていた。
「ロイ、ギレンを起こして!」
「うーい」
 ハリーに頼まれたロイは、ギレンを起こすため二段ベッドの下段を覗き込んだ。
「おい、ギレン起きろよ」
「…………」
「って、起こしてやったのに睨みつけるな!」
 ギロリと睨まれ、ロイは怯みながらもギレンを咎めた。そんな彼をじっと見つめた後、ギレンは無言で枕元の眼鏡を手に取ると、起き上がってベッドから出た。
「あ、ギレン起きたー?」
「うむ」
「昨日も遅かったの?」
 ギレンの枕元にはいくつかの本が無造作に置かれている。
「勉強もいいけど、寝坊してたら意味ねーぞ」
「気をつける」
 ロイの呆れたような言葉に、ギレンは首肯すると部屋を出て行く。そんな彼を残された二人は視線を交わして肩を竦めた。




 寮の食堂で朝食を終えると、三人は校舎へと向かった。
 レングランド学院では、基本となる通常授業の他に、選択授業をいくつか受講できる。選択授業の場合は水準さえ満たしていれば、年齢を問わずそれに相応しい授業を受けることができる。
 ハリーは上級黒魔道の講義を選択していたし、ロイは医学、ギレンは魔道工学の講義をそれぞれ選択していた。
「なんだろ?」
 寮から校舎へと続く道に設置された掲示板に、たくさんの生徒が集まっているのを見て、ハリーは首を傾げた。
「なんか面白いことでも書いてあるのか?」
「見てみよう」
 そう言って掲示板へと走り出したハリーを、ロイが追う。ギレンだけはゆっくりとマイペースに二人の後を追った。
「なになに……『本日の午前中の授業はすべて自習とする』えぇっ?」
「なんだ? なんかあるのか?」
「さぁ……でもこんなの初めてだよね」
「だなぁ」
 他の学生と同じく驚いて掲示板を見ている二人を一瞥した後、ギレンは自分でも貼り出された告知を見る。
(自習か……なら図書室にでも行くか)
 そんなことを思いながら、ギレンはまだ首を傾げている二人を残し校舎へと向かった。




「多いな……」
 図書室の中の人の多さに、ギレンはうんざりしながら呟いた。
 レングランド学院の図書室は、どんな本でも見つかると言われている。そう豪語するだけあって、元離宮であった広い建物内には数え切れないほどの本棚があり、それらすべてにぎっしりと本が詰まっていた。
 普段は広々とし、また静かな場所でもあったが、今日は全授業が自習になったためか、同じように図書室に向かう生徒が多い。
 その為、今日の図書室はギレンの好む静謐な場所とは程遠かった。
(仕方ない……必要な本だけ借りて行こう)
 ギレンはそう決めると、迷いのない足取りで目的の本がある場所へと向かう。何冊かの本を手に取り、更にその上に必要な本を重ねていく。気が付けばそれは結構な数になっていた。
「重い……」
 思わず呟いたものの、それらを棚に返す気はなかった。積み上げた本をそのまま抱え込むようにして持つと、彼は図書室の貸し出し受付へと向かった。
 受付を済ませると、ギレンは本の重さによろけながら、それを読むに相応しい静かな場所を思い浮かべてみる。が、一つとして脳裏に出てこない。
 ギレンが学院に入学してからすでに二年が経過しているが、お世辞にも行動派とはいい難い彼は、校内ですら立ち入ったことのない場所の方が多い。
「教室でロイにでも聞くか……」
 ギレンは独りごちると、重い本に悩まされつつも歩き出した。
 図書室から校舎へ続く渡り廊下を歩いていくが、積み重ねられた本のせいでギレンの視界は悪い。しかも本の重さで時折ふらついている。
 そんな状態だったので、やはりというか前から歩いてきた生徒とぶつかってしまった。
 ドンッという衝撃の後、ギレンは本を放り出しその勢いのまま尻餅をつく。相手はギレンほど衝撃を受けなかったのか仁王立ちで彼を睨みつけていた。
「いってぇな!」
「申し訳ない」
 倒れた時に飛んでしまった眼鏡を拾いながら、ギレンは相手に頭を下げた。戻った視力で相手を見れば、二十代前半ほどの男だった。
 男はふんっと鼻を鳴らしながらギレンを見下ろすと、次いで散らばった本に目をやった。
「『魔道工学の未来』ね。お前、魔道工学を受講してる奴か」
「そうだが?」
 散らばった本を集めながらギレンは淡々と返事を返す。彼の年上に対しても落ち着いた態度を生意気と取ったのか、男はギレンを睨みつけると嘲るように言った。
「あそこは変人の集まりで、レングランドのごくつぶし集団って言われてるんだぜ? 知らなかったか?」
 嘲笑しながら、男は落ちた本を一冊手に取ると、パラパラとそれをめくる。
「ほらこれなんか見ろよ。まるで子供の空想だ」
 書かれてあった挿絵を示し笑う男に、ギレンは静かな眼差しを向けた。
 こんな風に言われるのは慣れている。
 男が指した挿絵は、開発を夢見る研究者たちの理想の魔道具たちだ。だが今の段階では男の言うとおり空想の産物なのだ。
「だが、それを実現するために我らは学んでいる」
 挑発に乗ることもなく、静かに言い返すギレンに男の方が怯む。だがそれを認めたくはなく、男はフンッと鼻を鳴すとギレンの横を通り過ぎた。そして少し歩いた後に、思い出したように振り返る。
「まったく変人たちは気楽でいいよな。玩具を作るためにレングランドで遊んでるんだからな」
 捨て台詞を言い放つと、男は今度こそ振り返ることなく歩き出した。
「お遊びか……」
 去っていく男の背中を見つめながら、ギレンは目を伏せてつぶやいた。






 校舎に入り、教室へと進むギレンは、廊下を進みながら違和感に気づいた。
(なぜ皆動かない?)
 移動するべき場所であるはずの廊下に、何故か立ち止まった生徒たち。話し込んでいるという様子ではなく、全員呆けたように突っ立っているのだ。
「なんだ?」
 ギレンは首を傾げながらも先を進む。しかし、行く先々で同じ光景が続いていた。
(なんなんだ、一体?)
 自分の興味以外には無関心なギレンも、さすがにこの状況には疑問がわいてくる。
 だがそれに答えをくれそうな者はなく、重い本を持った状態のギレンは、話しかけることを諦め仕方なくそのまま歩き続けた。
 ――ドンッ
(しまった……)
 衝撃を感じた瞬間、ギレンは先ほどと同じ状況に天を仰いだ。この状況で幸いだったのは自身が尻餅をつかなかったことくらいだろう。
「すまない。大丈……」
 落下した本のせいで開いた視界の中、ギレンは謝罪を口にしながら相手を見た瞬間、呆然と言葉を失った。
 そこには完璧なまでに整った顔立ちの、天使の如き愛らしい少女がいた。
「大丈夫ですか? ルーナ様」
「うん全然平気」
 まじまじと少女――ルーナを見つめていたギレンは、二人の少女のやり取りでハッと我に返った。
「すまない……大丈夫だろうか?」
 小柄なルーナに合わせて屈みこむと、顔を上げた彼女はふわりと微笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。こちらこそごめんなさい」
「いや、俺が前をよく見てなかったせいだ。すまない」
「そうです。前も見えないほどの本を持って歩くなんて非常識ですわ」
 お互い頭を下げあっていると、もう一人の少女が咎めるようにギレンを睨みつけてきた。 こちらの少女は制服を着ているところから、レングランドの生徒なのだろうとギレンはぼんやり思う。
「エレイナ、そんな風に言ったらだめだよ。私も物珍しくてキョロキョロしてたんだし」
「ですがルーナ様」
「いーの! それより彼の本を拾わなきゃ」
「あっ、いや、大丈夫だ……」
 ルーナの言葉にギレンは慌てて手を振って遠慮するが、彼女は笑顔で散らばった彼の本を拾い出した。
「なんだか難しそうな本ばかり……魔道工学?」
「様々な魔道具などを生み出している、新しい学問ですわ」
 本の題名に首を傾げるルーナにエレイナが説明する。その言葉を聞いてギレンは思わず口元を緩めた。
 まだ新しい分野であるこの学問は、理解者よりも圧倒的に無理解な者が多い。特に魔道に長けた者ほど魔道具の便利さには懐疑的で馬鹿にしている者が多い。そんな中でのエレイナの理解を含んだ言葉に、ギレンは嬉しさを隠しきれなかった。
「そっかぁ。貴方すごいんだね!」
 何時間見つめていても飽きないような美しい少女が、キラキラと瞳を輝かせてギレンを見上げている。
 その破壊力たるや凄まじく、人の美醜に大して感心もなかったギレンでさえ、思わず顔を赤らめ、どこか遠くに魂を飛ばしてしまった。
「あら……これって……」
 そんな彼を現実に引き戻したのは、ルーナが彼の本を何気なく開いてもらした言葉だった。
(あれはさっきの……)
 先ほど子供の空想と一蹴された挿絵を、偶然にもルーナは開いていた。じっと挿絵を見つめるルーナに、ギレンはスッと心が冷えるのを感じた。
 黙って嘲りの言葉を覚悟して待つギレンだったが、暫くすると、予想に反してルーナは興奮気味にギレンに向き直った。
「ねぇ、これすごいね! これなんかテレビみたい」
「テレビ……?」
「あ、いえっ……えっと……これって、〈遠話〉と〈遠見〉系……後は〈具現〉の魔道を組み合わせた魔法陣を構築できれば作れそうじゃない?」
「えっ?」
「すごいね! こんなのが出来たら便利になるね!」
 ギレンは呆然とルーナを見つめる。
 子供の空想だと馬鹿にしないどころか、どういった魔道を組み合わせるべきか、そんなことを提案してくるルーナに、ギレンはただただ驚いていた。
 そんな彼を気にすることもなく、彼女は一人で楽しそうに挿絵を見ては感想を述べている。
「うーん、これもいいけど、私としては実用的なものも開発してほしいなぁ」
「実用的?」
「うん。水道設備とか? 衛生面とかからみてもいいと思うのよね」
「確かに……」
「ふふっ、頑張って作ってね?」
 ルーナはそう言うと、ギレンの両手を握ってにっこりと微笑んだ。
「…………」
(あー、この子だめね。完全に落とされてるわ……ルーナ様も罪な方……)
 手を握られたまま、魂をはるか遠くに飛ばされたギレンを横目で見ながら、エレイナは心の中でため息を零した。
「さ、そろそろ行きましょう? アマリー様がお待ちですわ」
「あっ、そうだね」
 ルーナはエレイナの言葉に頷くと、ギレンから手を離す。そしてコテンと首を傾げると呆けたままのギレンに尋ねた。
「ねぇ、貴方のお名前は?」
「……ギレン」
「ギレンかぁ。貴方に似合ってるね!」
「そうだろうか?」
 ギレンが首を傾げると、ルーナはクスクスと楽しそうに笑う。次いで彼女は彼に自分の名前を名乗った。
「……ルーナ」
 ぼんやりとルーナの名前を繰り返すと、彼女はにこりと笑い、エレイナは忌々しそうに「様をつけろ!」と咎めた。
「じゃあ、またねギレン」
「ああ……」
 にこりと手を振る彼女に頷き、ギレンはそのまま暫く彼女の後姿を見守った。








 ギレンが寮の部屋に帰ると、共有の居間のソファに、ハリーとロイの姿があった。二人は特に話をするでもなく、それぞれ違う方向をぼんやりと見ている。
 そんな様子に立ち尽くすギレンに、最初にハリーが気が付いた。
「あ、ギレンおかえりー」
「ただいま」
「おう、おかえり」
 いつもなら挨拶を済ませるとすぐに部屋に行ってしまうギレンだが、今日は二人と同じように居間の一人掛けソファに腰を下ろす。
「ギレン、今日自習の時どこにいたのさ?」
「お前惜しいことしたよなぁ、あの子のこと見逃しただろ?」
「あの子?」
 興奮して話し出す二人に、ギレンは首を傾げる。
「なんと公爵家の姫君! 今日学院へ来てたんだ! すっげー可愛いの! いやあれは可愛いっていうより綺麗? とにかく天使みたいな子だった」
「うん、本当に綺麗な子だったね。姉君のアマリー様も綺麗だけど、なんていうか彼女はもう人の域を超えてる感じ」
「だなぁ。それにしてもハリーはいいよなぁ! ユアン様と仲良しだから暫く一緒に話したりしてたんだろ?」
「でも緊張してそんなに話せてないよ?」
「だよなー! 俺でもきっと緊張しちゃうって」
「うんうん。ギレンだったら平気だったかもね」
「そうだな、ギレンだったら平気そう!」
 勝手なことを話す二人にギレンは小さくため息を零す。
(公爵家の姫君? ルーナが?)
「ギレン?」
 黙り込むギレンに気づいたハリーが、彼に声を掛けた。顔をあげたギレンはフッと微笑むと小さく呟く。
「……俺も平気じゃなかった」
「え? 何?」
「なんでもない」
(いつかまた話してみたい。その時は彼女に自分が作った魔道具を披露しよう。あの時彼女が、瞳を輝かせて『凄い』と言ったものを)
 ギレンはルーナを思い浮かべると、話しかけるように誓った。






 ギレン・アルベルト
 数多の魔道具を考案、作成し、魔道具職人(マエストロ)と後世まで称えられたのは、また別の物語。


- end -

2010/02/05

SideStoryより。