リセット Side Story



冷戦勃発 ...01

※ベルデから帰宅した直後のお話。カインとアマリーたちとの初対面です。


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 四頭立ての大型馬車はゆっくりと王都を進んでゆく。
 大通りを進み、王都の中央広場を抜けると目の前に壮麗なクレセニア王宮が見える。王宮は王都の北端にあり、それを囲むように貴族の屋敷や官吏、騎士団の寄宿舎や住居などがあった。
 一般に北地区と呼ばれるこの地域の中でも、一際目立つ大きな屋敷がリヒトルーチェ公爵の屋敷だ。
 公爵一家を乗せた馬車はやがて立派な門扉を越え敷地の中へと入って行くと、馬車はようやく屋敷の玄関へと辿り着く。
 馬の嘶(いなな)きと共に馬車が停まり、車両の中にいたルーナは隣に座った母親の顔を見上げた。
「やっと着いたのね」
「ええ、久しぶりの我が家ね」
 ルーナに微笑みかけた後、ミリエルはルーナの対面に座るカインに声を掛けた。
「カイン、長旅だったけど大丈夫?」
「はい。平気です」
「そう。それなら良いのだけど、病み上がりなのに無理をさせてしまったわね」
 気に病むミリエルに、カインは微笑んで首を振った。
「ベルデで十分休養させていただきましたから、本当に大丈夫です」
「お前が思うほどカインはひ弱ではないよ、ミリエル」
「ひ弱だなんて思ってませんわ。でも大怪我だったのだし」
 アイヴァンの物言いにミリエルが反論したところで、車両のドアが外から開いた。
「話は屋敷に入ってからだ」
 アイヴァンは笑いながらそう言うと、さっさと馬車を降りる。次いでカインが続き、ミリエルがアイヴァンに手を取られて降りた。
「カイン。君の部屋はルーナの隣に用意してある。ルーナに案内してもらうといい」
 アイヴァンはミリエルの手を引いて歩き出すと、頭だけ振り向いてカインに告げた。そうして彼が戸惑っているうちに公爵夫妻は屋敷の中へと消えてしまった。
「まったく……。どうせ母様とイチャイチャしたいのよ、父様は」
「イチャイチャ……」
 ルーナの言葉に困惑した顔でカインがつぶやいた。ルーナはそんなカインに笑いながら馬車を降りると、彼の手を握って引っ張った。
「お部屋に案内するねっ」
 にこにこと笑顔を振りまくルーナに、カインも釣られて微笑みを浮かべた。



「ここがカインの部屋みたいだよ」
「ありがとうございます、ルーナ様」
「だから……はぁ、とりあえず部屋で寛いでて? わたしもお部屋で少し休むから」
「はい」
 軽く手を振ってすぐ隣の部屋に向かうルーナを見て、カインは小さく微笑む。きっと自分がゆっくり休めるようにと気を使ってくれたのだろうと、すぐに見当がついた。
「これは……」
 ルーナを見送ってから自室のドアを開けたカインは、中に入ると驚きの表情を浮かべる。
 彼がこの家に身を寄せる対価として、ルーナの護衛を引き受けた。表向きは騎士見習いということもあり、さほど良い待遇は期待していなかった。
 だが実際は立派な部屋を与えられ、学問や剣術の家庭教師をつけてもらい、更には仕事として給金まで用意されることになったのだ。
 ――厚遇どころか、家族と同じ扱いと言っていい。
「はぁ……」
 天蓋の立派な寝台に腰をかけ、カインはため息を零す。
 ルーナのおかげで前を向けるようになったと思うが、それでも恵まれすぎな自分の今の環境を、カインはどこか申し訳なく持て余してしまうのだ。



「カイン、入ってもいい?」

 控えめなノックと同時に声を掛けられ、カインは「はい」とすぐさま返事を返した。入ってきたルーナはにっこりと微笑みながら口を開く。

「お部屋気に入った?」
「はい。僕には勿体ないくらいの部屋ですから」

 遠慮がちなカインの答えに、ルーナは頬を膨らませる。

「勿体無いとか遠慮しすぎ! カインは私たちと同じ、この家の子だと思えって父様も言ってたんだし。そんな態度だとお部屋を用意した母様ががっかりするわよ」
「ありがたいとは思ってるんです。本当に」

 慌てて言い訳するカインにルーナは笑ってみせ、カインもそれを見てホッとする。

「明日は兄様たちが学校から戻ってくるの。カインにも紹介するからね」
「はい。楽しみにしてます」
「今日はゆっくり休んでてね。わたしはマーサと一緒にいるから」

 マーサとは先ほど挨拶を交わした三十代半ばの優しそうな人だったと、カインは脳裏にふくよかな彼女の姿を思い浮かべた。
 彼女と一緒の時や、ルーナが勉強の時間にはカインが一緒にいる必要はない。

「わかりました。では少し休ませていただきます」
「うん。何かあったら呼ぶね?」
「はい」

 うなずくと満足したのか、ルーナはパタパタと可愛らしい足音を立ててカインの部屋から出て行った。

 長旅だったが上等の馬車のおかげで、さほど疲れることはなかった。それでも特にやることも思い浮かばず、カインは寝台に横になることにした。

 これから自分が住む場所。
 カインはそっと目を閉じると、そのまま深い眠りへと誘(いざな)われていった。




 次の日、朝からリヒトルーチェ邸は浮き足立っていた。
 不思議そうなカインに、朝食の席でアイヴァンが笑いながら説明した。
「今日はルーナの兄姉たちが学校から帰ってくるからな」
 その言葉に昨日も確かそのようなことをルーナに聞いたと、カインは思い出した。
「本来は君も学校に行かせてやりたいのだがね、それだとルーナの傍にはいられないからな。……その代わり学院にも負けない教師陣を家庭教師として用意するよ」
 アイヴァンの言葉に、カインはいつものように疑問を感じる。
(どうしてここまで良くしてくれるのだろう?)
 だが聞いたところで彼は素直に教えてはくれないだろう。だがそれでもいいと思っていた。カイン自身、その厚意に裏があったとしても甘んじて受けるつもりなのだから。
「カイン、どうしたの?」
 名前を呼ばれ、カインはハッとしてルーナを見た。
「いや、なんでもないです」
「そう?体調悪かったら休んでていいからね」
 心配そうにそんなことを言うルーナに、カインは首を振って答えて見せた。そうするとルーナは安心したようにふわりと微笑んだ。
「じゃあ、今日はカインに屋敷の中を案内するね!」
 元気よく宣言すると、ルーナはカインの腕を取った。カインはそんなルーナに戸惑いつつも、されるがままに従って席を立った。
 図書室、回廊(ギャラリー)、サロンなど一通り回るのはかなりの時間を要した。
(さすがに広いな……)
 広大な屋敷は端から端に至るまですべてきちんと管理されている。それは勿論それを維持できるだけの使用人の数と財力があってこそのものだ。
 カインは改めてリヒトルーチェ家の大きさを実感した。
 庭園は後日案内することにし、ルーナの部屋でお茶を飲んでいる時だった。「ルーナ!」 という声と共に乱暴にドアが開いた。
 呆気に取られるカインとは別に、予想がついたのかルーナはにっこりと微笑んでそちらを見る。
「アマリー姉様!」
「ルーナ! 逢いたかったわぁ」
「ふふっ。三週間ぶりですものね」
「そうよー。父様ったらベルデ滞在を延期なんていうんですもの」
 ルーナをぎゅっと抱きしめながら話していたアマリーは、やっとルーナの横に立つカインに気づくと、驚きの表情でまじまじと彼を見た。
「……誰?」
 訝しげに尋ねると、カインはゆったりした足取りで彼女に近づき優雅な所作で挨拶をした。
「カイン・ロウ・ブレーゼと申します」
「ブレーゼ? あの遠縁のブレーゼ伯爵家?」
「はい。次男になります」
 ルーナはカインの腕に自分の腕を絡めると、にっこり笑ってみせる。
「あのね、カインは父様の騎士見習いで、わたしの護衛もしてくれるのよ。だからずっと一緒なの」
「は?」
 ルーナの言葉にアマリーは淑女らしからぬ返事を返す。
(護衛? 一緒に住む? ……それになに? なんでルーナとこんな親しげなわけ!?)
「何それ? 聞いてないわよ」
 ムッとしたままアマリーはルーナに近づくと、カインの腕にぶら下がるようにしているルーナを引き剥がす。
「気安くルーナに触れないでくれる?」
 どちらかというとルーナがカインに触れているのだが、妹至上主義(シスコン)の彼女にはフィルターが掛かっているので反対に見えるらしい。
「姉様、どうしたの?」
「なんでもないわよ。ちょっと胡散臭いって思ってるだけ」
 その言葉にさすがのカインも表情を固くする。
「胡散臭い……ですか。挨拶も満足に出来ないような令嬢には言われたくないですね」
「なんですって!」
 今度はカインの言葉にアマリーが気色ばむ。ルーナはふたりをオロオロと見つめるばかりだ。
「名乗りもしない礼儀知らずなのは否定できないのでは?」
「カ、カイン……」
 確かにカインが挨拶したにも関わらず、姉はそれを無視してしまった。それをカインは馬鹿にしたような慇懃無礼な態度で指摘したのだった。
 アマリーはクッと唇を噛むと、悔しげに淑女らしく膝を折って挨拶を返す。
「アマリーシェ・フラウ・リヒトルーチェよ。これで良いかしら?」
「それくらい確認しなくても判断できませんか?」
(うわぁ、カインってばどうしちゃったのかしら……。それに姉様も……)
 ルーナを挟んで無言で睨み合うふたりに、ルーナは途方に暮れた。
(ああもぉ、誰か助けてー!)
 そんな心の叫びを聞き取ったのか、救いの神は現れた。
「おや、いないと思ったらここにいたのか、アマリー」
「ジーン兄様! ユアン兄様!」
 ルーナは兄たちの登場にあからさまにホッとすると、彼らに駆け寄って飛びついた。
「ルーナ久しぶりだね。……ああ、君がカインだね。僕はジーン・セイラム・リヒトルーチェ。ルーナの上の兄だよ」
「僕はユアン・ラズロー・リヒトルーチェ。よろしくね、カイン」
 にこやかに挨拶するジーンたちに、カインも穏やかな笑みを浮かべると挨拶を返した。
「カイン・ロウ・ブレーゼです」
「話は聞いたよ。ルーナの護衛をしてくれるんだって?」
「はい、微力ながら」
「カインが傍にいてくれるなら、僕たちも安心だよね、兄様」
「そうだね。よろしく頼むよ、カイン」
「はい」
 すっかり打ち解けているカインとジーンたちを横目に、アマリーは面白くなさそうに兄に訴えた。
「兄様! わたしは聞いてないわよ、護衛なんて!」
「あーそれって姉様、自分のせいだよ?」
 ユアンはのんびりした口調で姉を咎める。意味が分からないと憤慨するアマリーにジーンが呆れたように苦笑しながら答えた。
「お前が屋敷に着いた途端、家令(コンラッド)の話も聞かずにルーナの部屋へ向かうからだろ? 僕たちはコンラッドからカインのことをちゃんと聞いたぞ」
「そ、そんなの知らないもの! と、とにかくわたしは認めないわよ!」
「アマリー……」
 咎めるようなジーンの視線に、アマリーはギクリと身を硬くする。普段穏やかで優しいジーンだが、怒らせるとその分怖いのだ。
「だって、ずっとルーナと一緒にいるなんてずるい……」
 それでも不貞腐れているアマリーの手をルーナがそっと引っ張った。
「姉様、怒らないで? わたし、カインがいてくれるようになって嬉しいの。だから姉様にもカインをちゃんと認めて欲しい」
「ルーナ……」
 溺愛する妹の言葉にはアマリーも強く出れない。
「五歳の妹に気を使わせてどうするんだ」
「わ、わかったわよ。その代わり命がけでルーナを護りなさいよね!」
「もちろんです」
 アマリーは悔しそうに顔を顰めつつもカインに命じると、カインは真面目な顔ではっきりと頷いた。
(あぁぁ、でもなんかムカつくわ。わたしは週二日しかルーナといられないのに!)
「姉様ありがとう。あのね、あとでピアノの練習に付き合ってね?」
 ふわりとルーナに微笑まれ、アマリーの顔が途端にとろける。
「カインも一緒に来てね?」
「はい」
 同じくルーナがカインに微笑みかけると、途端にアマリーの顔が歪む。
(やっぱり、邪魔よ!)
アマリーは心の中で毒づきながら、カインを睨みつけた。しかしカインはその視線をしっかり受け取った後、にこりとこれ以上なく爽やかに微笑んでアマリーを見返した。
(こ、こいつ……!)
 ここにアマリーとカインの冷戦が勃発したのだった。



  †††

 アマリーとカインの無言の攻防を、ジーンとユアンは遠巻きに眺めていた。
「結局のところ姉様は、自分じゃなくて彼がルーナの傍にいるのが一番気に食わないんだろうねぇ」
「そういうことだな……」
「ルーナってば、姉様がこんなんで恋人できるのかなぁ?」
「アマリー程度の障害をクリアできないならその資格はないだろう?」
 あっさりとアマリーの妨害を肯定するジーンに、ユアンはそっと肩を竦めた。
「……結局のところ兄様も妹至上主義(シスコン)だよね」
 最後につぶやかれたユアンの言葉は、幸いにもジーンには届かなかった。


- end -

2010/02/05

SideStoryより。本編では語られなかったアマリーvsカインの第一戦はこんなかんじでした。